今日は寒いけども、昨日はありえないくらい暖かかった。2月なのに20度くらいありましたね。
子供の予防接種を受けに出かけたが上着は着なかった。2月なのに。
早いもので、子供はもう1歳を迎えました。
母親的には、出産から1年ということになるが、あまりの忙しさや毎日色々ありすぎたり、
成長が目まぐるしかったりして、自分がすごしてきたどんな1年よりも早く感じました。
子供と沢山過ごせる貴重だった育児休暇も1年で終わる。
4月から無事に保育園に入れることになったので、2ヶ月延長が必要になり、今はその延長期間の最中です。
わたしは早く仕事復帰したかったのですが、なんやかんや名残惜しく感じます。長い長い夏休みみたいでした。
夏休みほどぐうたらは出来ないけど…。
産まれたてや、夜もミルクをあげなくてはいけない月齢の頃は寝れない日々が続き、それなりに大変でしたが、もう1歳になり睡眠もまとまってとれるので、そう感じるだけかもです。
私が産んで私が育てたという記憶しかないのに、あっという間すぎて、いつ大きくなったかわかんない。
たしか、去年の冬も暖かくなるのが早くて。
12月後半から3月末まで実家にいて、当初の予定より長居してしまったり、暖かくなるのが早すぎたのもあって、まったく春物を持ってなかったんですね。
まあ、あまり出かけることも出来なかったので…。出かける時はいつも同じ白のニットワンピを着てました。
赤ちゃんが生後1ヶ月を過ぎて、お散歩ができるようになってから、抱っこ紐で抱えて、公園に行ったりしました。
1ヶ月家から出ることのなかった私は、もう桜が咲いてるのも知らなくて、冬から春になるのがあっという間だなって感じました。
冬にお別れを告げることなく、そのまま慌ただしくなって、そろそろ春かな〜なんて思うことも無く春が来たかんじ。
昨日もそんな日を思い出しました。
2022年に書いた「春と鬱」にて、
生ぬるい気温と鼻を過ぎていく桜の匂いが自分の記憶を呼び起こします。
嗅覚って記憶に残りやすいですよね。
春も、もう二十数回迎えてきたので、毎年のことが過去になるたびに思い出します。
このように書いた。
学生のころの思い出。なんとかしなきゃいけなかった日々。
学校という組織があって、30人あまりが1つの教室に居て、その狭い箱庭で気にしてしまうことがたくさんありました。
正直、るる実は、学生時代より社会人になってからのほうがうんと気持ちが楽になりました。
そして今は成長が楽しみな子供もいる。
これから春を迎えるたび思い出すのは、自分の学生時代ではなくて、きっと子供のことだろうと思う。
保育園の事前体験保育で、手遊びをした。20数年ぶりにきいた手遊びの歌。
子供を産まなかったらたぶん一生思い出すことはなかっただろう。
自分と子供は同一ではないのはもちろんわかっているが、
子供と一緒に過ごす日々は、なんだか生き直しみたいなものだと感じた。
そしていつか子供も、私のように、きっと何かしらの窮屈さや人間関係や悩む日が来る。
塞ぎ込まないように、味方だと言えるように、邪魔しないように。見守っていくしかないのです。
誰にでもある春の鬱、きっとこれからの私にもまだあることでしょう…。