金曜ロードショーでやっていた「風立ちぬ」を見ました。
見るのは初めてではありませんでした。
2013年に映画館で見て、家で見て、金曜ロードショーでやるたびに見て。
おそらく、ジブリ映画の中では一番たくさん見ていると思います。
はじめて映画館で見た時には、学生だった私には正直わからない要素が多かったです。
なぜ二郎は大切な妻である菜穂子の結核の治療に専念させず、「ここで暮らそう」と言ったのか。
私の中では、当時ネットで言われてた『二郎クズ説』みたいな感想が膨れ上がっていました。
「薄情者!」と何度も二郎に言う、妹の加代のような気持ちに近かったとおもいます。
それでも、二郎と菜穂子の気持ちがわかりたいなと思って、何度も何度も「風立ちぬ」を見ました。
環境が変わるたびに、大切な人が増えるたび、私が大人になっていってどんどん感想は変化していきました。
震災・戦争・不況
「風立ちぬ」では厳しくもリアルな社会情勢が描かれています。
全体を通して見ると、決して不況や戦争の話を書きたいわけではないんだとわかります。
序盤に描かれた震災は、大変な時に助けられたからこそ、菜穂子にとって二郎が忘れられない人となるきっかけになります。
そして、戦争は兵器として利用される飛行機を作ることへの葛藤へと繋がります。
不安定な時代背景が、風立ちぬという映画のストーリーに意味をもたせていったのだと思います。
飛行機は美しくも呪われた夢
二郎の夢の中で度々会う、カプローニのセリフです。
飛行機は美しい。でも、その便利さから兵器となる運命をたどります。
戦争はダメだけど兵器となる飛行機は作るって矛盾してるんですけど、それだけ難しいテーマを描いていると思ってます。
戦争をやめさせるだとか規模の大きなことは自分にはどうにもできない。
そんな時代だからこそ二郎は自分が好きだと思えることに夢を追求する。
それが、たまたま飛行機だったんだと思います。
二郎の夢の中で、カプローニは二郎に旅客機を見せ、「じきに戦争は終わる、これを作るのが私の夢だ」と語ります。
兵器や爆弾を載せず、笑顔のお客さんをたくさん乗せる飛行機。
夢やロマンが詰まった飛行機が、きっと戦争に使われなくなる日がくることを信じて。
挫折と、菜穂子との再会
二郎は、飛行機への思いの強さと、真面目さと恵まれた環境から、人生を順調に歩んできました。
小さい頃から飛行機設計の勉強をして、大学に行き、不況の中就職できて。持ち前の知識や発想力を活かし、ばっちり仕事をこなしていきます。
入社から5年後、プロジェクトのリーダーとして実機の設計全般を任せられることになります。
しかし、初めての飛行実験は順調に見えたかのようでしたが、最終的に墜落し失敗に終わってしまいます。
ぐしゃぐしゃになった自分の飛行機を見て、順調に夢を叶えてきた二郎が初めて挫折をしてしまうのです。
しばらく仕事を休み、気晴らしに行った軽井沢で、運命のように菜穂子と再会します。
菜穂子との結婚生活
喀血を起こしたため、持病の結核の治療を決め高原病院での入院を決めた菜穂子ですが、東京で仕事をしている二郎からの手紙を読んで恋しくなったのか、こっそりと病院を抜け出し、東京へと向かいます。
病院は雪の降る中、屋根のないベランダにベッドが並んでて、その上に菜穂子は居ました。
結核というのは、昔は太陽光を浴びれば除菌されて治ると言われていたそうです。それで外にベッドがあったんですね。
そのようなところに居た菜穂子は、一人できっと寂しかったし、心細かったと思います。
「ここで一緒に暮らそう」
二郎は、そんな菜穂子の気持ちをこの言葉で救ったのでしょう。
二郎をひと目見たら病院へ帰るつもりだった菜穂子は、東京で生活することを決めます。
最初に言いましたが、もちろん菜穂子の身体にとっては高原病院での治療を続けたほうが良いに決まっています。
こうでもしないと送ることができない、何気ない日常こそが二郎と菜穂子にとっての幸せなんだろうと思いました。
二郎に世話を焼いたり、仕事している二郎の姿をとなりで見つめたり、ほんとうに何気ない日常を目指していたのでしょう。
私が菜穂子でも、私が二郎でも、二人に残された時間が少ないなら、きっと同じ選択をすると思います。
束の間の夫婦生活を送った二人でしたが、菜穂子は二郎・加代・面倒を見てくれた黒川夫人の3人に手紙を残し、突然高原病院へ帰ってしまいます。
医者の卵である加代は、菜穂子の病気が進んでいることに気がついていました。
菜穂子のことを追いかけようとする加代を、黒川夫人は止めます。そして「美しいところだけ、好きな人に見てもらったのね」と言います。
病気が進行すると、顔色が悪くなったり、菜穂子の中で二郎の前でキレイでいられないという、限界を感じていたのですね。
みにくくなるぐらいなら、自分がいなくなってしまったほうが、好きな人の中では美しいままでいられますから。
追い求めた夢と夢の跡
任された大きなプロジェクトの飛行機をついに完成させた二郎はこのシーンで、「(飛んでいった飛行機は)一機も戻ってきませんでした」と言います。
二郎が作っていた飛行機は零戦。パイロットも死んでしまう飛行機ごとの体当たり戦法で使われてたので、なおさら考えさせられます。
このように、実際に戦争で飛行機が使われる直接的な描写は無いにしろ、作中にはそれを彷彿とさせるセリフが何個も登場するのです。
夢と悪夢は表裏一体。うまく言い表せないのですが、これが「風立ちぬ」の作品背景が描いた大きなテーマだと思っています。
「風立ちぬ」はジブリ全体でみたら結構暗めだし、緩急があるわけでもない淡々とした話なのですが…。
ほかのジブリ映画には無い、静かな魅力があると思います。
魅力がわかるようになるまで、何回か見ないとわからないところとかあったけど、大人になったことが理解を深める上で一番おおきかったです。
「風立ちぬ」の原作は宮崎駿が連載した漫画で、二郎というキャラのモデルの一人である堀越二郎は、零戦を作った後に戦後初の旅客機を造っています。
そこまでの描写は映画内でありませんでしたが、ラストシーンの菜穂子の「生きて」に響くような、空が晴れていくような明るさを感じました。
かつて日本で兵器であった飛行機に明るい未来を求め、夢を叶えたのですね。